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温泉山満明寺一乘院ついての説明

温泉山満明寺一乘院について

ウチのお寺の山号は温泉山と書いて「うんぜんざん」と読みます。「おんせんざん」ではありません。元々、温泉山満明寺一乘院は、現在の小浜町雲仙温泉の中心街にお寺がありました。明治維新後に、現在の雲仙市南串山町に本坊を移転しました。

雲仙温泉の【雲仙】という漢字は、昭和9年(1934年)、瀬戸内海、霧島とともに日本初の国立公園が指定され「雲仙国立公園」が誕生する際、「温泉(うんぜん)」と表記するのは読みにくい、との理由で、現在の「雲仙(うんぜん)」という漢字が取り入れられる事となりました。雲仙という漢字、あれは当て字です。

ちなみに、全国各地には山号が「温泉山」という寺院があります。有名なのは四国八十八ヶ所第6番札所の温泉山安楽寺さんです。そちらは「おんせんざん」と読みます。ウチは「うんぜんざん」です。

温泉山満明寺の歴史は、1300年以上になります。

大宝元年(701年)行基菩薩によって温泉山満明寺が建立されました。神仏習合の時代であったので、この時、行基菩薩は四面大菩薩を勧請して鎮守としました。これが現在の温泉神社(うんぜんじんじゃ)です。

平安時代の温泉山満明寺は、寺院や僧房が沢山あって僧侶が沢山いて女人禁制の修験道の霊山として有名で、その当時は日本三大霊場(高野山、比叡山、そして温泉山)の一つとして数えられていました。

ここでいう満明寺は一つの寺院を指す名称ではありません。

山号の温泉山は一つの山の固有名詞ではなく、普賢岳、妙見岳などを総称した名称になります。当時の温泉山は山岳宗教(修験道)の中心的存在でありました。また寺号の満明寺は一つのお寺を意味するのではありません。行基菩薩は、大宝元年に最初の寺院・大日如来院を建立しました。その後、山内に釋迦堂、阿弥陀堂、文殊堂、普賢堂、地蔵堂…など、沢山のお寺を建立、それら全体を満明寺と呼んでいました。(例えば、大日如来院は温泉山満明寺大日如来院、釋迦堂は温泉山満明寺釋迦堂、阿弥陀堂は温泉山満明寺阿弥陀堂が正式名称)

しかし日野江城城主・有馬晴信が天正8年(1580年)にキリスト教の洗礼を受けると、島原半島内の寺社仏閣の破壊、僧侶の殺害などの蛮行を行い、温泉山満明寺は焦土と化しました。現在も日野江城の遺構には、梵字が刻まれた石塔や神社の灯籠などを城に登城するための階段替わりとして敷き詰められたままになっています。晴信の性格の悪さがにじみ出たお城です。

寛永14年(1637年)の島原の一揆により、温泉山満明寺は堂宇全て焼失、破壊されました。島原の一揆というと、天草四郎が活躍し、多くのキリスト教徒が殉教した、という悲劇の戦いというイメージがありますが、実際の島原半島では仏教寺院側も攻撃対象となり、真言宗のみならず、曹洞宗、浄土真宗などの寺院もことごとく焼き討ちにあいました。

一揆平定の翌年、寛永15年(1638年)当山中興弘宥和尚(遠州浜松鴨江寺出)が温泉山満明寺の復興の命を受け、寛永17年(1640年)旧地を再興し「温泉山満明寺一乗院」として再出発しました。

ちなみに弘宥和尚の実弟の善佐衛門が遠州浜松より一緒に島原藩にやってきて(島原城主高力摂津守忠房公の家臣だった)、温泉の湯守として整備を進め、1653年に共同浴場「延歴湯」が作られました。よく【雲仙温泉は開湯1,300年の歴史】のキャッチコピーを使用し宣伝されてますが、あれ間違いです。雲仙温泉が湯治(とうじ)として民衆の間で利用できるようになったのは、島原の一揆後のことなので、本当は開湯400年足らずです。

温泉山満明寺一乘院として再興してからは、中興の祖・弘宥和尚、二世 宥誉和尚、三世 宥仙和尚、四世 宥證和尚、五世 宥傳和尚、六世 宥晴和尚、七世 宥勝和尚、八世 宥興和尚、九世 宥眞和尚、十世 宥英和尚、十一世 宥寂和尚、十二世 宥猛和尚、十三世 宥阿和尚、十四世 宥乗和尚、十五世 満明寺宥道和尚、十六世 木村道淳和尚、十七世 西淳海和尚、十八世 西宥興和尚

そして十九世 仁海(名誉住職)、二十世 泰仁(住職)

と温泉山満明寺一乘院の法燈は受け継がれています。

江戸時代に焦土と化した温泉山の地に新たに温泉山満明寺一乘院が建立され、更に四世 宥證和尚から十三世 宥阿和尚の代まで、京都仁和寺の摩尼珠院の院家として兼帯するようになりました。温泉山満明寺一乘院は島原藩主の祈願寺として、また霊山・温泉山の管理者として(当時はお山に入山するためには、一乘院の発行する手形が必要だった)一時代を築いてきました。

しかしながら次の災難は【明治維新】の【神佛分離令】に端を発する【廃仏毀釈】。再び温泉山満明寺一乘院は温泉神社と分離され、民衆から破壊され、雲仙の地には温泉山満明寺一乘院釋迦堂を残し、雲仙市南串山町にあった末寺・歓喜庵を一乘院の本坊として移転します。

明治の時代もまぁ、色々あったのですが、

昭和55年(1980年)、「観光と信仰のメッカに」をキャッチフレーズで雲仙温泉の観光活性化を計画する方々の意向により、温泉山満明寺一乘院釋迦堂は独立、新たに雲仙山満明寺としてスタートされました。

ということで、宗教法人上、一乘院からは満明寺の名前が消え、

雲仙市南串山町には真言宗御室派 温泉山一乘院

雲仙市小浜町には真言宗御室派 雲仙山満明寺

となりました。

温泉山満明寺の歴史は、残念ながら地元の方々にさえ、キチンと理解されていない事が多く、

先住が残したこの温泉山満明寺をサイトリニューアルをきっかけに、広く周知していただければと思い、更新していこうと思っているところです。がんばります。

合掌

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